著者の小熊さんは大学の先生だが、この本は小熊さんの父親の一生を丹念に聞き書きして、歴史的背景を緯糸に織り込みながら一冊にまとめたものだ。ぼくも、近年、実父と義父の一生をそれぞれまとめて製本し、関係者にお配りした。これらの本をまとめていて思ったのは、どんな平凡に見える人にもその人ならではの輝かしい人生がある、波乱に富んだ人生がある、ということだ。ぼくは、仕事となると功成り名遂げた人、あるいは名を遂げつつある人の半生や一生を描くことが多いが、市井の片隅にも愛おしくて抱きしめたくなるような生命が煌めいている。本当は、そういう人の一生をもっともっと書かないといけない。それを本書は改めて感じさせてくれた。学べるところや共感できるところが多かった。それを以下に記す。
著者のあとがきより抜粋。
・記憶というものは、語り手と聞き手の相互作用で作られる。聞き手に聞く力がなければ、語り手から記憶を引きだすことはできない。
・聞き取りを行ったことで、父と私の関係は近しくなった。共通の話題が増えたし、父の発言や行動の意味が理解しやすくなった。また過去のことを話しているあいだは、父の表情が現役時代にもどったような輝きをみせることが、私にとっては単純にうれしかった。おそらく父にとっても、自分の経験を熱心に聞かれることは、喜ばしいことであったろう。
しかしこれらは、聞く側の働きかけなくして、起こることではない。日本だけでなく、世界のどこにおいても、多くの経験や記憶が、聞かれることのないまま消えようとしている。自分の親族なり、近隣なり、仕事場なりで、そうした記憶に耳を傾けるのは、意義あることだろう。
またそれは、語り手以上に、聞き手にとって実り多いものだ。なぜなら、人間の存在根拠は、他者や過去との相互作用によってしか得られないからだ。
・過去の事実や経験は、聞く側が働きかけ、意味を与えていってこそ、永らえることができる。それをせずにいれば、事実や経験は滅び、その声に耳を傾けなかった者たちも足場を失う。その二つのうち、どちらを選ぶかは、今を生きている者たちの選択にまかされている。