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  • 高野秀行著

『移民の宴』〜日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活〜


 著者の高野秀行さんは自他共に認める無類の酒好きだ。飲酒などもってのほかのイスラム圏に「潜入」し、『イスラム飲酒紀行』という、酒好きによる酒好きのための?ノンフィクションを書いている(2011年発行)。内容は、高野さんがイスラム圏各国で「ないはずの酒」を必死に探し求める。そして、意外や厳格なイスラム法に支配されている(とぼくたちが思っている)現地にも、隠れキリシタンのように?こっそり酒を楽しむ人たちがいるのを発見する、という冒涜的に愉快な?作品だ。断酒と戦っている人はゼッタイ読まない方がいい。それにしても、こんな本を出版したことが万にひとつもISに見つかったら、高野さんの身の安全はどうなるのだろう。

 いずれにせよ、著者自身「ぼくは、誰も取り組んだことがないテーマを見つけて書く」と宣言しているだけあって、高野さんの著書はテーマ設定そのものがめっぽうおもしろい。本人曰く、「ボツになった作品も多い」。それだけ当たり外れがあるのだろう。ボツ作品こそ読んでみたいものだ。

 そんな酒好き(ほとんどアル中?)な高野さんが、『イスラム飲酒紀行』を出した翌年、またもや誰も取り組まないであろうテーマで書いた。それが『移民の宴』だ。日本各地にある外国人コミュニティを取材し、うまい酒と料理にありつけるという著者垂涎のテーマ。結果として本書は、登場人物ひとりひとりを愛のある目線で人間性豊かに描き、それぞれの民族や宗教や国家に固有の食文化や価値観、そして日本人が気づかない日本人像をあぶり出すことに成功している。

 高野さんはあちらこちらの移民の宴に出かける。不幸にして酒が出ない宴では飲めなくてのどがグビリと鳴り、たらふく飲める宴では満ち足りてグビリと鳴る(ように思える)。それを隠そうとしない素の高野さんのキャラクターを取材対象が快く受け入れてくれることも、ノンフィクションとして成功した一因だろう。

 とりわけ印象に残ったのが、第9章「西葛西のインド人」。「寛容」と「排他的でない」のちがいを指摘したインド人コミュニティのゴッドファーザー、チャンドラニさんとのやりとりだ。

 西葛西で開かれたインドの新年祭「ディワリ」に顔を出し、さっそくインド産のスパークリングワインを楽しんだ高野さん。彼とチャンドラニさんのやりとりを要約する。まず、チャンドラニさん。「ヒンドゥー教を信じるインド人も、ハレー・クリシュナ(ヒンドゥー教の一派で、1965年にアメリカで生まれた)を受け入れています」。高野さんが「新興宗教でも構わないというのは、やっぱりインドの人は寛容なんですね」。そう感心すると、チャンドラニさんはきっぱり否定する。「寛容とはちがいます。排他的でないんです。いろんな考え方があって、どれが正しく、どれが間違っているとかではない。どれも正しい。それを理解するということです」。

 高野さんは書く。「はっと目が覚める思いだった。たしかに寛容には、間違った存在や行動を大目に見るという上からの視線がある。だが、インドでは、自分とはちがうものが同居していることが常態なのだ。インド人の共存の意識と、それを適当な言葉で流さない論理性には恐れ入る」。酒を楽しみながらも、さすがは高野さん。彼我のちがいを鮮明に記憶にとどめている。


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